2008年 07月 08日
結論は前提となる仮定に依存する |
バナッハ=タルスキーのパラドックスをご存知だろうか?
「球を5つ以上に分解し、うまく組み立てなおせば、
もとの球と同じ体積の球を2つ作る事ができる。」
何じゃそりゃー、という感じですね。
仮に、手元に黄金の球があれば、それを無限に増やせる方法があるということです。
(実は定理でもその方法は明らかにされていないのだが。。。)
選択公理という数学の一分野に関する定理なのだが、
上記が正しい事は証明されているそうだ。
納得できないので、いろいろ考えてみた。
結局のところ、数学では無限小はまさに無限小である、
という事ではないかと思う。(確信は無いが。。。)
現実世界では、素粒子が最小単位であったり、
さらに言えば、プランク長が物理的最小限界となる。
どれだけ小さいといっても、無限に小さいわけではない。
立体を無限に操作できるという仮定をおく数学とは、前提条件が異なる。
数学は人間の頭の中にある観念的論理の世界であり、
その中では成立する定理も、現実とは矛盾する場合があるという事だ。
議論の前提として仮定される条件が異なれば、結論は自ずと異なる。
無意識のうちに仮定を受け入れてしまい、不適切な結論に至っていることは無いだろうか。
私自身は思い当たる節が多い。
気をつけたいものだ。
「球を5つ以上に分解し、うまく組み立てなおせば、
もとの球と同じ体積の球を2つ作る事ができる。」
何じゃそりゃー、という感じですね。
仮に、手元に黄金の球があれば、それを無限に増やせる方法があるということです。
(実は定理でもその方法は明らかにされていないのだが。。。)
選択公理という数学の一分野に関する定理なのだが、
上記が正しい事は証明されているそうだ。
納得できないので、いろいろ考えてみた。
結局のところ、数学では無限小はまさに無限小である、
という事ではないかと思う。(確信は無いが。。。)
現実世界では、素粒子が最小単位であったり、
さらに言えば、プランク長が物理的最小限界となる。
どれだけ小さいといっても、無限に小さいわけではない。
立体を無限に操作できるという仮定をおく数学とは、前提条件が異なる。
数学は人間の頭の中にある観念的論理の世界であり、
その中では成立する定理も、現実とは矛盾する場合があるという事だ。
議論の前提として仮定される条件が異なれば、結論は自ずと異なる。
無意識のうちに仮定を受け入れてしまい、不適切な結論に至っていることは無いだろうか。
私自身は思い当たる節が多い。
気をつけたいものだ。
by coolmoment
| 2008-07-08 23:02
| サイエンス