2011年 12月 12日
テレパスが消えた日 |
マンガやアニメには、良く超能力者が出てくる。
念動力やテレポーテーション、未来予知にテレパシー。
彼らの能力は多種多様だ。
しかし最近の作品では、テレパスが少ないように感じる。
言葉を使わずに、心と心で直接会話できるテレパシー。
なかなか魅力的な能力だが、出番が減ったようだ。
なぜか?
思うに、それが既に「夢の能力」では無く、
現実的に可能だからだろう。
現代、誰もがモバイルや、twitter、SNSを使えば、
世界中のあらゆる人達と瞬時にコミュニケーションできる。
わざわざ異能力に夢を託す必要がないのだ。
それでは、テレパシーを超える現代の夢は何だろうか?
SF的に言えば、精神融合と意識や行動の同期といったところか。
クラーク作「幼年期の終わり」の終盤で、そのような人類の姿が描かれている。
仮に、比較的情報格差の少ない数億人の思考空間が成立した場合、
自分自身や、自分が属する共同体を守ろうとする意識が希薄化し、
文化や利害の違いに左右されない超建設的な意識の解放が見られるのではないか?
そこに「次」がある、と考えるのは読み過ぎだろうか?
念動力やテレポーテーション、未来予知にテレパシー。
彼らの能力は多種多様だ。
しかし最近の作品では、テレパスが少ないように感じる。
言葉を使わずに、心と心で直接会話できるテレパシー。
なかなか魅力的な能力だが、出番が減ったようだ。
なぜか?
思うに、それが既に「夢の能力」では無く、
現実的に可能だからだろう。
現代、誰もがモバイルや、twitter、SNSを使えば、
世界中のあらゆる人達と瞬時にコミュニケーションできる。
わざわざ異能力に夢を託す必要がないのだ。
それでは、テレパシーを超える現代の夢は何だろうか?
SF的に言えば、精神融合と意識や行動の同期といったところか。
クラーク作「幼年期の終わり」の終盤で、そのような人類の姿が描かれている。
仮に、比較的情報格差の少ない数億人の思考空間が成立した場合、
自分自身や、自分が属する共同体を守ろうとする意識が希薄化し、
文化や利害の違いに左右されない超建設的な意識の解放が見られるのではないか?
そこに「次」がある、と考えるのは読み過ぎだろうか?
by coolmoment
| 2011-12-12 17:36
| インターネット